握り締めた愛情の絹糸を綱にしよう

とある解離性同一性障害罹患者の随想録

精神障害者であることが恥ずかしかった

精神疾患罹患者になってしまった自分が恥ずかしかった。

精神障害者手帳を持っている自分はもっと恥ずかしかった。

 

「社会不適合者の烙印」

 

障害者手帳のことをそんな風に思っていた。

 

 


精神疾患という病気なんか恥ずかしい」

精神障害者なんかになってしまった自分が恥ずかしい」

「社会に適合できなかった自分が恥ずかしい」

「全部自分が悪いのに、医療や看護や福祉に頼らざるを得なくて申し訳ない」

「生きてるだけで常に誰かに迷惑ばかりかけてしまって申し訳ない」

「病気になって障害者になって何もできないのに生きててごめんなさい」


そんなことをずっと思っていた。

 

 

 

だがこの考えは私自身の考えではなく、親族達から言われ続けた言葉から膨らんでいった考えだった。

 


親族達は精神科に通っていた母親に対して

 

「お前が弱いから精神病なんかになる」

「お前は病気になりたがってる」

「お前は自分で病気を作っている」

 

そんなことを言い続けてきた。

 


親族達にそんなことを言われ続けている母親の姿を見ながら、そんな酷い言葉を聞きながら、私は育ってきた。

 

そして実際私が精神科に通うようになった時も、親族は母親に言ったことと全く同じ言葉を私に投げつけてくるようになった。


当時は親族の言うことだけが正しいと思い込まされていたので、私は親族の考えに簡単に染まっていってしまったのだ。

 

 

 

 

それから何年か過ぎ、今は異常な環境から抜け出して、安心安全で平穏な日々を過ごせるようになった。

 

安心安全で平穏な日々を過ごしているのにフラッシュバックが引き起こされて、ありとあらゆる症状がボコボコ出てきて、日常生活がままならない。
愛されたい気持ちも満たされないままで、生きづらさだってそのままで、毎日が苦しい。

 

平穏な日々なのに毎日が苦しい。
そこで「病気だからなんだ」とようやく自覚した。

 

今まで親族に甘えだ怠けだ弱いだ何だと責められ続けてきたことは、全部全部、病気から引き起こされる症状だったんだ。

 

そこでようやく気付いた。


親族の言葉は洗脳だったと。

 

この事実に辿り着くまで、既に15年が経っていた。

 


 

 

平穏な日々のなかで少しずつだけどまともな目線で現実を見れるようになってきた。


病気は何も悪いことじゃないし、障害者手帳は社会不適合者の烙印でも何でもないと思えるようにもなった。

 

病気や障害というものは「日常生活を人並みに送ることが難しいので手助けが必要な人ですよ」というだけのものだった。

 

病気であること障害者であることは、何も恥ずかしいことじゃなかった。

 


15年掛かって私は自分が病気で障害を持っているんだと自覚が持てた。

 

ここまで長かった、本当に長かった。

 

けれど実際はやっとスタートラインに立てるようになっただけに過ぎず、スタートラインから踏み出してこそやっと治療が始まっていく。

 

現在スタートラインに立っただけの私ができることは、平穏な日々を維持しながら治療を受けて病気を良くしていくことだけだ。

 

 

 

「良くなる為なら何だってやってやろう、やってやって、やり尽くしてやろう」

 

そう決心した今日という日のことを、忘れないようにしよう。