握り締めた愛情の絹糸を綱にしよう

とある解離性同一性障害罹患者の随想録

過去の感情に仕返しされる

最近ノートやタイピングして文字を筆記したり入力することがしんどくてできない。
まず座っていられない。横になるしかできない状態。
本当にエネルギーと言うエネルギーがない。皆無。
この記事は音声入力を使って書いています。文明の利器って素晴らしい。

ここ最近一番困っていることは動けないこともそうなんですが、過去に穏便にやり過ごそうとして堪えた感情の大爆発が頻繁に起こることです。
その場でグッと抑えて耐えた感情が数ヶ月や数年経った現在になって大爆発。その真っ只中にいます。

いくら感じてること思ってることを素直に正直に感情的にならず冷静に伝えようとしたって、結局心のどこかでため込んでるものが必ずあるらしい。
その場限りの平穏の為に犠牲を払った当時の自分に仕返しされてる感じ。それが本当にしんどい。

親にも元彼にも「思ったことはその場で言え、後から言うな、過去の終わったことを掘り返すな」と散々怒られてきた。
自分でも過去のことをネチネチ言いたくないと思っていたから、どうやったらその場で自分が思ったこと感じたことを認知できて言葉に出来るようになるのかなあと長年悩んでた。

でもやっぱり無理なものは無理だ。できない。

解離性同一性障害という病態を考えれば瞬間的に解離がしてるのは明白で、無意識で解離してる以上、瞬間的に「無いもの」と切り離されるものを自覚しろだなんて無理。
コントロールできないものをコントロールしろと言われてるのと同じ。
無いものを見つけようとするには有るものを先に認知しない限り見つからない。

これは開き直りなどではない。
できないものはできないと言ってるだけ。

解離が暴走した結果病気になってるのに、コントロールできなくなったものを自力でどうにかしろというのは、自力で病気を治せと言われてるのとなんら変わらない。
自分の身に解離が起こっていると自覚できたのはほんの1年前だから、その1年で自力でどうにかできるんだったら別人格が生み出されるまで解離してない。

解離を和らげるのならば治療しないと無理。
だから精神科に通って治療を受けたいと思っているのに、通院すらも体が動かないとか混迷になるとか失神するとかで行けない時が多い。
通院ですらままならない状態なのに、生活ですら最低限しかできなくて、すぐにくたばってしまう。

20代の頃より30代になった現在の方が病態悪化してるし、今が最高潮にキツイかもしれない。
一人暮らし時代の私はどうやって生活を回して通院してたのかな。その情報がとても知りたい。

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症状に見舞われるだけの生活

症状に見舞われて対処に追われる生活が本当にしんどい。

やりたいことはたくさんあるし、日常生活も回していかないといけないのに、症状でくたばっている時間があまりにも長すぎる。

くたばり続けていられるほど暇じゃない。

症状に見舞われて対処対応対策なんてしていったら1日24時間じゃ全く足りない。

ただでさえ1年くらい自分の時間が取れなくて、ようやく自分の時間が持てるようになったのに。

別人格達のやりたいことがある程度満足してやっと私の順番が回ってきたんだから、自分のやりたかったことをたくさんやっていきたいのに。

どうしても体や頭が動いてくれない。

むしろやる気が湧けば湧くほど逆にどんどん体調やメンタルがやられてくる。

やる気はあるのにその気持ちを動かす体と頭がどんどん鈍ってくる。

そしてやる気があるのに体も頭も動かなくて症状に見舞われて撃沈してるだけで時間が過ぎていって、結局やりたいことができずにフラストレーションが溜まって人格交代という爆発が起きる。

今は休むべき時期だと頭では理解しててもやっぱりやる気が湧いてる時に行動したい気持ちもあって、どちらの気持ちも大事だからどちらもしっかりやっていきたいのに。

休憩を忘れず絶対挟みながら隙を見て少しずつやっていくしかないのかな。

「無理は禁物」

これさえ守れたら、今はそれでいいのかな。

そう思っていくしか道は無さそうだ。

解離性同一性障害の診断が下りて思うこと

昨年2022年12月19日、解離性同一性障害の診断が下りました。

長年境界性パーソナリティ障害との診断でしたが、精神科通院を開始して15年以上経ってから初めて診断名が変わりました。

まさか自分が多重人格だなんて思ってもみなかったです。
正直今までこの状態が「当たり前」だったので、今更病気だなんて言われてもすぐには受け入れられません。

私は多重人格になりたがってるだけなんじゃないか、演技してるだけなんじゃないか、夢でも見てるんじゃないか。

そんな気持ちが拭えないです。

 

多重人格になるのは相当ヒドイ虐待やいじめやDVや性被害に遭った人しかならない病気だと思ってました。
だけど私の生い立ちを聞いたことがある人は「あなたはその"相当ヒドイ被害"に遭ってるんだよ」と言います。

だけど"相当ヒドイ被害に遭った張本人"である私は、その自覚が全くありません。
むしろ被害の出来事自体、本当に起こった事実とは思っておらず、自分の妄想ではないか/捏造なんじゃないかと疑ってすらいます。

要は自分の人生を「他人事」だと思っているんです。

この自分の人生を他人事として捉えていること自体が病気なのだとは思うものの、この感覚が当たり前すぎて病気の自覚が持てないのです。

 

別人格が行動した形跡、別人格の置き書き、別人格の名前。主人からの目撃談や証言。

数々の証拠があるのに、診断名も告げられたのに、自分の中に「別人格が存在している」とはやっぱりにわかには信じ難い。

それでも「別人格の存在」を前提にして生活せざるを得なくて、それ自体が少し(かなり?)しんどいのが本音です。

でも生活の中で別人格たちに助けられているのも事実で、彼らが存在してくれているからこそ今の生活が回っているのが現状です。

 

別人格が何人存在しているのか、それは私にはわかりません。

私が主人格であることは結婚している以上確定事項らしいです。

 

この解離性同一性障害の診断名を受け入れたわけではありませんが、どうやら自分の中に別人格がいるみたいだぞ、という軽い感じでやっていってます。

 

私が主人格なのは荷が重いけど、なんとか病気を良くしていこうと思います。

 

本当の人生の始まり

ブレない自分だけの軸みたいなものがどうしても欲しくて、何があっても不変の軸がずっと欲しかった。

 

お前は芯がないと散々怒られ続けて、でも芯の持ち方は教えてくれなくて、どうしたらいいのかずっと混乱していた。

 

芯がないのがどうして悪いことなのかもわからなくて、私も芯が欲しくなったけど持ち方がわからなくて、本当にどうしたらいいかわからなかったから自分で考えろと言われて、どんどん本当にどうしたらいいかわからなかった。

 

みんな一緒に考えるとかアドバイスくれるとかしてくれなくて、ずっと孤独だった。

 

自分一人で自分を支えられない時が多くあったから、その時の指針となる軸がわかっていれば、時間は掛かっても立て直せるはずだから。

 

自分が誰とかわからなくなる時も多くあって、私は何をすればいいかわからなくなるとか、もう勘弁して欲しい。
自分が消え入りそうで、居なくなってしまいそうで、本当に怖いから。


私は自分をもっと知りたい。

 

今まで自分を後回しにして蔑ろにして放置してきたから、これからは自分を沢山構っていってあげたい。

 

自分に関心を向け続けてあげたい。
褒めてあげたい、認めてあげたい。
愛してあげたい。

 

私はずっと愛されたかった。

 

だけど今はもう愛してくれる人と一緒に居られるから、次は自分で自分を愛してあげる時だ。


ここまで約3年。
早いようで長かった。

 

でも、本当の人生の始まりはここからな気がしている。

地球上に存在する約70億人の中のたった1人のあなたへ。

たった1人、1人だけでいいから、私の書いた文章が刺さって欲しい。届いて欲しい。受け取って欲しい。

いつもそんな想いでこのブログを書いています。

 

私は何者にもなれません。


所詮毒親育ちの中卒バツイチ子持ちの障害者で無職でだらしなくてみみっちくてしょぼい人間です。


それでも、こんな私でも、好きだと言ってくれる人達が居るんです。


だから好きだと言ってくれるその人達には、私の「何か」が刺さったんだと思います。

その「何か」は自分ではわからないけれど、良い意味で刺さってくれる人が1人でも居るのなら、私はその1人の為だけに文章を書きます。


みんなとか大勢とか大衆とか世間とかそんなものに向けて書いてなんていません。

この世界に存在する約70億人の中に居るたった1人。

私はいつだってこの「たった1人」の為に向けて書いているんです。


その1人に届いて、更に受け取ってくれるのなら…。

それだけで文章を書く意味があり、文章を書く理由になり、文章を書く原動力になります

 

"今を生きる、それが言葉になる。"

 

たった1人に何かが伝わるのであれば、それだけで私は救われます。

 

 

だから、もう少しだけ、生きてみるね。

 

画面越しに見てくれているあなたに、約束する。