握り締めた愛情の絹糸を綱にしよう

とある解離性同一性障害罹患者の随想録

解離性同一性障害の診断が下りて思うこと

昨年2022年12月19日、解離性同一性障害の診断が下りました。

長年境界性パーソナリティ障害との診断でしたが、精神科通院を開始して15年以上経ってから初めて診断名が変わりました。

まさか自分が多重人格だなんて思ってもみなかったです。
正直今までこの状態が「当たり前」だったので、今更病気だなんて言われてもすぐには受け入れられません。

私は多重人格になりたがってるだけなんじゃないか、演技してるだけなんじゃないか、夢でも見てるんじゃないか。

そんな気持ちが拭えないです。

 

多重人格になるのは相当ヒドイ虐待やいじめやDVや性被害に遭った人しかならない病気だと思ってました。
だけど私の生い立ちを聞いたことがある人は「あなたはその"相当ヒドイ被害"に遭ってるんだよ」と言います。

だけど"相当ヒドイ被害に遭った張本人"である私は、その自覚が全くありません。
むしろ被害の出来事自体、本当に起こった事実とは思っておらず、自分の妄想ではないか/捏造なんじゃないかと疑ってすらいます。

要は自分の人生を「他人事」だと思っているんです。

この自分の人生を他人事として捉えていること自体が病気なのだとは思うものの、この感覚が当たり前すぎて病気の自覚が持てないのです。

 

別人格が行動した形跡、別人格の置き書き、別人格の名前。主人からの目撃談や証言。

数々の証拠があるのに、診断名も告げられたのに、自分の中に「別人格が存在している」とはやっぱりにわかには信じ難い。

それでも「別人格の存在」を前提にして生活せざるを得なくて、それ自体が少し(かなり?)しんどいのが本音です。

でも生活の中で別人格たちに助けられているのも事実で、彼らが存在してくれているからこそ今の生活が回っているのが現状です。

 

別人格が何人存在しているのか、それは私にはわかりません。

私が主人格であることは結婚している以上確定事項らしいです。

 

この解離性同一性障害の診断名を受け入れたわけではありませんが、どうやら自分の中に別人格がいるみたいだぞ、という軽い感じでやっていってます。

 

私が主人格なのは荷が重いけど、なんとか病気を良くしていこうと思います。