精神病の人間はクズだと本気で思っていたあの頃〜とある男性看護師の話〜
最近、訪問看護に来てくれていた男性看護師のことをよく思い出します。
その男性は精神科1本で看護師を目指して働き続けている人です。
以下、桧山さんと仮名します。
訪問看護の利用を始める前に精神科1本を志望して看護師になった男性が来てくれますよと教えてもらっていました。
その男性が桧山さんでした。
桧山さんに会う前からどうして精神科1本で看護師になろうと思ったのかすごく不思議でした。
なので初回訪問で来てくれた時に尋ねてみた時の話です。
その時桧山さんが言っていた話を、何回も何回も、思い出します。
◆
桧山さんのお母さんは看護師だったそうです。
なので桧山さんも中学生の頃には「自分も看護師になる」と決めていたみたいです。
桧山さんが自分も看護師になりたいとお母さんに伝えたところ、お母さんが勤務する精神病棟に訪問することになったそうです。
初めて精神科病棟に行った時はすごく怖かったと言っていました。
やっぱり桧山さんも、当時は精神病の人っておかしい人達なんじゃないか、頭が変な人達なんじゃないか、危ないことをする人達なんじゃないか…。
そんなことを思っていたみたいです。
これも桧山さんは全部正直に話してくれました。
でも実際精神科病棟に入院してる患者さんとお話をしてみると、彼らは根っこがとっても純粋なんだピュアなんだと感じたみたいです。
「精神科で看護師として働きたい」
精神病棟の患者さん達と接する内に、精神科志望の看護師になろうと決めたそうです。
だから今でも精神科1本で働き続けている、桧山さんはそう言っていました。
◆
当時、私は桧山さんが言ってたことが全く理解できませんでした。
精神病の患者さんは根っこが純粋、ピュア…?
精神病に罹る人は、心が弱くて意思も弱くて人間性も終わってて何でも病気のせいにして傍若無人に振る舞うことを正当化する自分勝手な人間、最低な人間、ゴミクズ人間でしかないよ。
私自身を含めて精神病の人達のことをそう思っていました。
"精神病患者さんは根っこが純粋、ピュア…。"
信じられない、そんなわけないじゃん。
自分勝手で最低なゴミクズの精神病患者の人達しか見たことないよ。
そんな人達が純粋でピュアなら、じゃあ私も純粋なの?ピュアなの?
そんなわけないじゃん、私もあの人達と同じ最低なゴミクズ人間だよ。
当時は私自身のことも他の精神病患者さんのことも、本気でそう思っていました。
だけど桧山さんの話を数年経って思い出してみると、今は彼の言いたかったことがわかるようになりました。
Twitterを再開して精神疾患を患っている人達と接するようになって、桧山さんの言っていたことがやっとわかってきたんです。
「やっぱり精神病にかかってしまう人達は根っこが純粋でピュアすぎて、理不尽なこの世の中に耐えきれなくなった結果病気になってしまったんだ。」
「自分を蔑ろにしてまで人に優しくすることを優先し続けてきたから、自分が崩壊して病気になってしまったんだ。」
「精神病の人達は決して頭のおかしい異常者なのではなく、純粋すぎてピュアすぎるが故に自分自身の葛藤ですら理不尽に思えて、咀嚼も飲み込むことも吐き出すこともできずに苦しんでいる人達なんだ。」
今なら、そう思います。
私自身を含め精神病の人達全員にそう思います。
今まで精神病の人達に「自分勝手で最低なゴミクズ人間」なんて酷い事を思っていた私自身を、とても恥ずかしく思います。
本当にごめんなさい。
他の患者さんに対しても、私自身に対しても。
本当に、本当に、ごめんなさい。
こんな酷いことを考えていたなんて許されるとは思っていませんが、せめて懺悔することだけは許して欲しいです。
本当に、申し訳ありませんでした。
◆
精神病になってしまう人は、壮絶な人生を歩んできた人達が沢山います。
世の中に偏見や差別もまだまだ多いです。
それでも精神病罹患者も人間です。
精神病があっても立派に生きてる人間です。
理解しろとは言いません。
偏見も差別もするなとも言いません。
せめて精神病罹患者を、毎日病気と闘いながら必死に生きている1人の人間として、見てくれると嬉しいです。
言わなくてもいいことを言いたい、だから私は今日も文章を書く。
文章を書くというのは地味に面倒臭い。いやかなり面倒臭い。
でも言わなくていいことを言いたいから、私は今日も文章を書く。
みんな言わないけど気付いていること。
気付いているけど当たり前だと思って言わずに過ごしていること。
見て見ぬふりをしてても本当はちゃんと見なきゃいけないこと。
私はそんな「当たり前だ」と思われている、そんなことを言いたい、書きたい、伝えたい。
そして文章を書いて誰かを救いたい、癒したい、助けたい。
でも、本当は。
救いたい、癒したい、助けたいと思っているのは、いつだって過去の自分だ。
他の誰でもない、過去の自分を誰よりも救ってあげたい。
過去の自分はいつまでも過去に取り残されたままで、一人でずっと苦しみに耐えている。泣いている。留まっている。
過去の私は今の私にしか救えない、救ってあげられない。
ずっとずっと誰かに助けてもらいたかった。癒して欲しかった。救って欲しかった。
でも誰も助けてくれなかった、癒してくれなかった、救ってもくれなかった。
そりゃそうだ、過去の私は自分自身にしか救えないのだ。
言わなくてもいいことを言うのは自分だけの「答え」を知りたいから。
今からなら、その「答え」が見つかりそうな気がしている。
だから私は今日も文章を書く。
10年間会っていない息子へ
今日は貴方の誕生日ですね、12歳になったんですね。
1回目の結婚を何歳の時にしたのかは思い出せないのに、貴方が生まれた日のことは昨日の出来事のように思い出せます。
生まれた瞬間に貴方は産声と同時におしっこをして私は泣き笑いしながら抱っこした日のことは忘れていません。
貴方の父親の記憶はうろ覚えでも、貴方が生まれた日の時刻も出生体重も身長もハッキリ覚えています。
だけど10年間一度も会えていないので12歳になった貴方の姿がまるで想像できません。
ランドセル姿を見ることなく今年度で小学校を卒業しますね、せめて写真だけでも見たかったです。
私が知っている赤ちゃんだった頃の貴方はもう居ませんね。
貴方の居住地や連絡先を知らなければ、どこの学校に通っているのかさえ、今でも知りません。
ですが私は日頃貴方の存在を忘れたまま過ごしています。
毎年誕生日に思い出す程度です。
そして申し訳ないけれど、もう貴方に会いたいとは思っていません。
冷たいでしょうか?酷いでしょうか?やはり母親失格でしょうか?
だけど10年間会いたくても会えない人をずっと想い続けるなんて、記憶が飛ぶ病気を抱えている私には土台無理なことでした。
大切なものを忘れないように覚えていられるようにしていたはずだったのに、貴方への想いさえも忘れてしまいました。
貴方には貴方の人生があるように、私も私の人生があります。
血の繋がりはあれど私達が親子であった時期は1〜2年しかないので、せめて貴方を1人の人間として今後の人生が幸多きものになるよう願うことしかできません。
もうこれしか選択肢は残っていないし、それがお互いの為になる方法だと私は考えています。
最後に、息子へ。
12歳の誕生日おめでとう。
小学生最後の年ですね、小学校は楽しかったでしょうか。
貴方には伝えたいことが多すぎて何も言葉になりません。
これからはお互いそれぞれの道を歩んでいきましょうね。
今後も変わらず貴方の幸せを願っています。
とてもとても、大切な人でした、愛していました。
母親より。
精神障害者であることが恥ずかしかった
精神疾患罹患者になってしまった自分が恥ずかしかった。
精神障害者手帳を持っている自分はもっと恥ずかしかった。
「社会不適合者の烙印」
障害者手帳のことをそんな風に思っていた。
「精神疾患という病気なんか恥ずかしい」
「精神障害者なんかになってしまった自分が恥ずかしい」
「社会に適合できなかった自分が恥ずかしい」
「全部自分が悪いのに、医療や看護や福祉に頼らざるを得なくて申し訳ない」
「生きてるだけで常に誰かに迷惑ばかりかけてしまって申し訳ない」
「病気になって障害者になって何もできないのに生きててごめんなさい」
そんなことをずっと思っていた。
だがこの考えは私自身の考えではなく、親族達から言われ続けた言葉から膨らんでいった考えだった。
親族達は精神科に通っていた母親に対して
「お前が弱いから精神病なんかになる」
「お前は病気になりたがってる」
「お前は自分で病気を作っている」
そんなことを言い続けてきた。
親族達にそんなことを言われ続けている母親の姿を見ながら、そんな酷い言葉を聞きながら、私は育ってきた。
そして実際私が精神科に通うようになった時も、親族は母親に言ったことと全く同じ言葉を私に投げつけてくるようになった。
当時は親族の言うことだけが正しいと思い込まされていたので、私は親族の考えに簡単に染まっていってしまったのだ。
◆
それから何年か過ぎ、今は異常な環境から抜け出して、安心安全で平穏な日々を過ごせるようになった。
安心安全で平穏な日々を過ごしているのにフラッシュバックが引き起こされて、ありとあらゆる症状がボコボコ出てきて、日常生活がままならない。
愛されたい気持ちも満たされないままで、生きづらさだってそのままで、毎日が苦しい。
平穏な日々なのに毎日が苦しい。
そこで「病気だからなんだ」とようやく自覚した。
今まで親族に甘えだ怠けだ弱いだ何だと責められ続けてきたことは、全部全部、病気から引き起こされる症状だったんだ。
そこでようやく気付いた。
親族の言葉は洗脳だったと。
この事実に辿り着くまで、既に15年が経っていた。
◆
平穏な日々のなかで少しずつだけどまともな目線で現実を見れるようになってきた。
病気は何も悪いことじゃないし、障害者手帳は社会不適合者の烙印でも何でもないと思えるようにもなった。
病気や障害というものは「日常生活を人並みに送ることが難しいので手助けが必要な人ですよ」というだけのものだった。
病気であること障害者であることは、何も恥ずかしいことじゃなかった。
15年掛かって私は自分が病気で障害を持っているんだと自覚が持てた。
ここまで長かった、本当に長かった。
けれど実際はやっとスタートラインに立てるようになっただけに過ぎず、スタートラインから踏み出してこそやっと治療が始まっていく。
現在スタートラインに立っただけの私ができることは、平穏な日々を維持しながら治療を受けて病気を良くしていくことだけだ。
「良くなる為なら何だってやってやろう、やってやって、やり尽くしてやろう」
そう決心した今日という日のことを、忘れないようにしよう。
【閲覧注意】見え続ける映像
性暴力のフラッシュバック記録です。
閲覧は自己責任でお願いします。
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映像がずっと見える。
頭を掴まれて男の人の股間に顔を押し付けられている私の姿を上から見ている映像。
すごく嫌なのに、顔を背けてるのに口元に男性器を押し付けられている私を第三者視点で見てる映像。
何してるんだろう自分と思いながら裸で横向いて無表情に寝転がってる私を上から見ている映像。
嫌で仕方ないのに手を掴まれて男の人の股間を触らせられている私を後ろから見ている映像。
すごく嫌で嫌で嫌で仕方ないのに自分には拒否権がなくて、しなくちゃいけなくて、やらされてて、したくないのにさせられている私の姿の映像。
そんな映像が、たくさん見える。
自分には拒否権が無くて意思を持つことも許されなくて、ただ相手の思うように動けばそれで良いと思われてる事がすっごく嫌だった。
相手が本当に好きで大事だと思ってるのは都合よく動いてくれる私であって、私自身の人格ではなかった。
私自身は求められてないんだということが、すっごくショックだった。
私は感情を持ってはいけなくて、感情を持つなということは意志を持つなということで、意志を持つなということは、人格を持つなということ。
恋人として彼女として女としての役割つまり性欲処理ができればただそれで良かった、それだけの役割しかなかった。
本当に求められていたのは性欲処理として便利な都合のいい私だけであって、私自身という個人は誰も求めていなかった。
◆
書きながら自分が誰かわからなくなってしまった。
明らかにこれは自分じゃないと思ってしまう。
でも、自分じゃないと思うけど、普段の自分って何かわからない。
ずっと自分はこうだった気がするし、こうじゃなかった気もする。
映像が見える時は、いつもこうだ。