握り締めた愛情の絹糸を綱にしよう

とある解離性同一性障害罹患者の随想録

言わなくてもいいことを言いたい、だから私は今日も文章を書く。

文章を書くというのは地味に面倒臭い。いやかなり面倒臭い。
でも言わなくていいことを言いたいから、私は今日も文章を書く。

みんな言わないけど気付いていること。
気付いているけど当たり前だと思って言わずに過ごしていること。

見て見ぬふりをしてても本当はちゃんと見なきゃいけないこと。

私はそんな「当たり前だ」と思われている、そんなことを言いたい、書きたい、伝えたい。

そして文章を書いて誰かを救いたい、癒したい、助けたい。


でも、本当は。


救いたい、癒したい、助けたいと思っているのは、いつだって過去の自分だ。
他の誰でもない、過去の自分を誰よりも救ってあげたい。

過去の自分はいつまでも過去に取り残されたままで、一人でずっと苦しみに耐えている。泣いている。留まっている。

過去の私は今の私にしか救えない、救ってあげられない。

 

ずっとずっと誰かに助けてもらいたかった。癒して欲しかった。救って欲しかった。

でも誰も助けてくれなかった、癒してくれなかった、救ってもくれなかった。

 

そりゃそうだ、過去の私は自分自身にしか救えないのだ。

 

言わなくてもいいことを言うのは自分だけの「答え」を知りたいから。

今からなら、その「答え」が見つかりそうな気がしている。

 

だから私は今日も文章を書く。