握り締めた愛情の絹糸を綱にしよう

とある解離性同一性障害罹患者の随想録

【閲覧注意】見え続ける映像

性暴力のフラッシュバック記録です。

 

閲覧は自己責任でお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映像がずっと見える。

 

頭を掴まれて男の人の股間に顔を押し付けられている私の姿を上から見ている映像。
すごく嫌なのに、顔を背けてるのに口元に男性器を押し付けられている私を第三者視点で見てる映像。
何してるんだろう自分と思いながら裸で横向いて無表情に寝転がってる私を上から見ている映像。
嫌で仕方ないのに手を掴まれて男の人の股間を触らせられている私を後ろから見ている映像。
すごく嫌で嫌で嫌で仕方ないのに自分には拒否権がなくて、しなくちゃいけなくて、やらされてて、したくないのにさせられている私の姿の映像。

 

そんな映像が、たくさん見える。

 

 

 

自分には拒否権が無くて意思を持つことも許されなくて、ただ相手の思うように動けばそれで良いと思われてる事がすっごく嫌だった。

 

相手が本当に好きで大事だと思ってるのは都合よく動いてくれる私であって、私自身の人格ではなかった。
私自身は求められてないんだということが、すっごくショックだった。

 

私は感情を持ってはいけなくて、感情を持つなということは意志を持つなということで、意志を持つなということは、人格を持つなということ。

 

恋人として彼女として女としての役割つまり性欲処理ができればただそれで良かった、それだけの役割しかなかった。

本当に求められていたのは性欲処理として便利な都合のいい私だけであって、私自身という個人は誰も求めていなかった。

 

 

書きながら自分が誰かわからなくなってしまった。
明らかにこれは自分じゃないと思ってしまう。

 

でも、自分じゃないと思うけど、普段の自分って何かわからない。
ずっと自分はこうだった気がするし、こうじゃなかった気もする。

 

 

映像が見える時は、いつもこうだ。