握り締めた愛情の絹糸を綱にしよう

とある解離性同一性障害罹患者の随想録

内面世界が無いなんて

解離性障害という本を読んで、所謂健常者と呼ばれる人達には内面世界というものは存在せず、仮に内面世界が存在していたとしても解離性障害の人達ほど精巧に綿密に作り上げられた世界ではないということ。

 

健常者の人達にとって現実は「本当の世界」でしかなく、夢や空想こそが「偽物の世界」だということは、何度聞いても私には信じられない。

 

私にとって、現実が夢で、夢が現実。

 

現実は仮の世界でしかなく、空想こそ本当の世界だと思っていることは、決して大多数の人達にとって「普通」「当たり前」「みんなそう」というわけではない。
解離性障害の人達は空想が本当の世界だと思っている、自分達の方が「少数派」なのだと自覚を持つ必要がある。

 

現実は空想の世界を構成する為の情報収集としての場所という認識しかない。

他人から見れば暇だから空想に逃げるんだと思われるかもしれないが、空想に自分の居場所を感じているから集中しすぎて現実が疎かになる=暇そうに見える、というだけ。
確かに常に家の机かベッドにしか居なくて外部から見える動きは最小限だし、ノート書いたりスマホ触ったり映画を観たりしてラクな方ラクな方に流されているようにしか他人には見えないという感覚は非常に理解が出来る。


言い訳のように聞こえると思うが、ノートを書くのは内面世界の解像度を上げる為であり、スマホ触るのは内面世界の構築に反映させられそうな新たな情報を求め続けているからであり、映画を観るのは自分1人では思い付きそうもない発想を内面世界に活用したいからである。
起きている間ずっと内面世界の構築に忙しく、常に頭はフル回転しているのですぐ疲れるし、横になって眠りにつくまでの瞬間さえ内面世界の構築に忙しい。

 

健常者にはそんな内面世界(空想)はなくて外面世界(現実)に忙殺されてるんだと思うと、私もちゃんと外面世界を生きたいと思いつつ外面世界に殺されたくないとも思う。

 

一度脳内という内面世界に「奥行き」が生まれてしまうと、その奥行きの深さの分だけ生きづらさが加速していくのではないか。


別に内面世界に奥行きを生み出した持ってしまった人が悪いというわけではないが、外面世界で困難にぶち当たった時に内面世界に逃げ込んで安息を得ることを繰り返し続けていたら、内面世界の奥行きはどんどん深みを増して生きづらさが強化され続ける一方だとは思う。

 

外面世界に立ち向かわなければいけない瞬間はいつか必ず訪れる。

 

2022/03/11